<篠山紀信展「快楽の館」>を見に行く。 <篠山紀信展「快楽の館」>は、2012年、東京オペラシティアートギャラリーで初めて美術館で開催された写真展<篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE BY KISIN>以来の久…Read More
藤田嗣治からレオナール・フジタへ
宗教は心の祖国となりえるか? レオナール・フジタが日本人藤田嗣治であることを捨て、カトリックに改宗した背景にさまざまに思いをはせてみた。 ポンピドゥー・センター傑作展のなかで、レオナール・フジタ作『画家の肖像』(19…Read More
二つの道 東山魁夷と靉光と
東山魁夷の『道』、『秋翳』を前にしたとき、唐突に中原中也ことが思いだされた。いや、唐突というのは正しくはない。 東山魁夷の絵を直接眼にするのは初めての体験だった。日本画の巨匠といった美術史的な知識、そして図録で彼…Read More
藤田嗣治の「戦争画」
藤田嗣治の「戦争画」と呼ばれている絵を見ることができた。 ながいあいだ作品の存在について、また作品がたどった数奇な運命について、たとえば近藤史人著「藤田嗣治『異邦人』の生涯」など藤田嗣治に関する書籍、資料で知識として…Read More
エルスケン「セーヌ左岸の恋」は唄っていた
オランダの写真家、エド・ヴァン・デル・エルスケンの処女写真集「セーヌ左岸の恋」(1998年,東京書籍より邦訳出版;大沢類・翻訳 /2003年,エディシオントレヴィルより復刻出版)のなかから写真15点を眼にすることが出来…Read More
写真における個性とは何か? -森山大道「遠野2014」をめぐって-
何を撮っても森山大道の写真になってしまうね。40年ぶりに岩手県遠野郷を撮影した森山大道写真展会場で耳にした会話の一部である。写真展に遠野という地名は銘打たれているが、会場の壁面に展示されている写真は、森山大道の世界その…Read More
写真家・荒木経惟への食べず嫌いが治った
不意打ちだった。その写真を目にしたときに、熱いものが目頭にあふれてきた。 熱い感情に気持ちが激しく掻き乱されたという実感はなかったが、目頭に熱いものがあふれてきて、いまにも零れそうになったのだった。奇妙な体験だった。 …Read More
篠山紀信の写真に心を浄化われた
未整理の雑誌切抜きを整理していたら、篠山紀信とアンリ・カルティエ・ブレッソンのカメラ雑誌からの写真の切抜きが見つかった。ブレッソンのタイトルは<コミューン>、篠山のタイトルは<静かな国>となっている。くしくも二人が同じ…Read More
四十年ぶりの失恋
あの出来事は1973年のことだとあらためて知った。横浜のそごう美術館で開催された「SIMONDOLL 四谷シモン」展の会場で、彼の年譜を見て、記憶の底からある情景が蘇ってきたのだった。 そのころフランス文学者の渋沢龍…Read More
<海老原喜之助「ポアソニエール」>と出会う
海老原喜之助の『ポアソニエール』をはじめて見た。美術評論家洲之内徹の評論集「絵のなかの散歩」を読んではじめて作家について知った。そして複製画で作品を見る機会はたびたびあったが、期待していた感動体験は共有されることはなか…Read More