・・・・・ それにしても、こんなに絵具を盛り上げる必要があるのかという疑問が私なんかには起こるが、しかし、厚塗りというのは、技法というよりも思想だろう。そうしなければ自分の考えているものが実現せず、それでも、まだ出ない…Read More
「ひたひたの水」(気まぐれ美術館-人魚を見た人)より
・・・・・・ セブン・イレブンでコーヒーを飲んでから、夜中の街をぶらぶら歩いて、新大橋の上まで行ってみることもある。四、五年前に架け替えになったばかりの新大橋は、オレンジ色の大鉄柱が二本、橋の中央に並んで立ち、その鉄柱か…Read More
「土井虎賀壽-素描と放浪と狂気と」より
・・・・・・ ところで、そういう読み方でこの本を読みながら、どうかすると、私はこの本の哲学的な主題ではなく、この哲学者の描いたデッサンを思い浮かべていることがある。いつの間にか、この人のデッサンを頭に置いて本を読んでい…Read More
「正平さんの犬」より
うどんには必要のないはずのスプーンがどうしてそこにあったのか、とにかく、一本の銀のスプーンが食卓の上に転がっていて、話はそのスプーンから始まったのだった。その銀のスプーンは、去年のときだったか、一昨年のときだったか、正平…Read More
「エノケンさんにあげようと思った絵」より
・・・・・・ 講談社版の『長谷川利行画集』には、宮川寅雄氏が「長谷川利行とその芸術」という文章を書いていられる。宮川さんは昭和三十三年の「美術手帖」八月号に長谷川利行論を書いて以来、何度も利行について書き、氏の利行論には…Read More
「続山荘記」(『気まぐれ美術館』)より
………… 佐藤哲三の作品と向きあうと、私は、いつも、他の絵には感じない、ある特別なものを感じる。なんとなく客観的になれないのだ。しかも、その感じが作品のほうにあるのか、見る私のほうにあるのか、それが私にはよく判らない。い…Read More
「ほっかほっか弁当」より
ほんの三十分か一時間のつもりが二時間以上になり、振り切るようにして暇乞いしたのは午過ぎだった。妹さんにも挨拶しようと思ったが、妹さんの姿が見えなかった。降り立った玄関の前庭に、眼に染みるように赤い花が咲いていて、私は幅…Read More
<「男は一代」補遺 金子徳衛 >より
・・・・・・ パリにいる間、徳衛さんの頭には、寝ても覚めてもド・スタールがあった。モンマルトルで買ったという小冊子のド・スタールの画集を、徳衛さんはいまも大切にしているが、アトリエの書棚からその画集を出してきて、その中の…Read More
「第三者」
………何でも知っているQのような種類の人間がいる。映画のことだろうとジャズのことだろうと、絵のことだろうと、何だって彼の知らないことはない。ジャズは昔はJAZZとは書かずJASSと書いたということも知っているし、千九百何…Read More
「秋田義一ともう一人」
これが年を取ったということかもしれないが、この頃、私は、物を考えるということをあまりしない。何か感じても感じっぱなしで、それを考えて行くということをしないのだ。 今年の春だったか、夏だったか、夏とはいってもまだそんなに暑…Read More